今日も作れることに ありがとう。

震災から四年

被害に遭われた方の お見舞いを申し上げると共に
命を落とされた方のご冥福をお祈りします。


あの日から 全てが変わってしまいました。

そして わたしは日々思い出し
でもなにもできず
毎日 ごはんを作っています。


そして お店をして2年
やっと、今ここで ごはんを作ることの意味がわかってきたような気がします。


避難して 京都に移住されたお客さまが スーフルにはたくさんいらっしゃいます。

わたしは ここでみんなの話を聞きます。そして ごはんを作ります。
一緒に泣いたり 笑ったりしながら 話します。
みんな元気です。


この文は ほぼ日のどこかに書いてあったもので メモしていたのだけど どなたが書かれたものかわかりません。
話さないことは 罪ではない。
だけど わたしはわからないから たくさん聞いてたくさん話してきました。
この文章があったから。



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あの震災の日以降、
とりわけ、ことばを失う場面が増えた。
もしかするとそれを「慣れた」と
言いかえることもできるかもしれない。

言うべきことばがない。
言うべき立場にない。
言うべきこたえがない。

でも、胸の中に、
なにか、言いたいかたまりがあったら、
できるだけ、それを追い求める自分でありたい。
目の前に悲しんでいる人がいたら、
心から思ったことを、言える自分でいたい。

ことばを失うことに、慣れたくはない。
「書いたほうがいい理由」と
「書かないほうがいい理由」の数をくらべたら、
「書かないほうがいい理由」のほうが圧倒的に多かった。

しかし、あるとき、ふと思った。
「書かないほうがいい理由」が
山ほどあるからこそ、書いたほうがいい、と。

そうでないと、ぼくらはことばを失うばかりである。
口をつぐんだほうがいい場面がどんどん増えていく。
真剣に考えたすえにことばを飲みこむ沈黙ではなく、
「無難な沈黙」「先送りする沈黙」だらけになってしまう。

なにかをやろうとするとき。
「やったほうがいい理由」と
「やらないほうがいい理由」を比べていったら、
きっと「やらないほうがいい理由」のほうが多い。
自分の中で多数決をしていたら、
たぶん、ずっと、なにもできない。
そして、これはとても大事なことだけど思うのだけれど、
なにもできないことを、誰も責めはしないし、
事実、責められるようなことは、なにひとつないのだ。
だから、そんなふうにしているうちに、
月日はあっという間に過ぎてしまって、
「やったほうがいい」と思っていた自分は、
まるで、最初からなかったことになってしまう。

たぶん、ぼくは、そういったことがいやだったのだ。
それで、書かない理由がたくさんあるからこそ、
こうして、書くことにした。

すごく大げさにいえば、
ぼくはこのように生きていきたい。
悲しい話に、前向きで幸せな終わりの場面を
無理に書くのではなく、
けれども、悲しいなかにある微かな喜びを
まったくなかったことにするのではなく。
誰の心も傷つけたくはないが、
誰かが傷つくかもしれないということを言い訳に
ぜんぶの表現や、そのもととなる気持ちを、
最初からなかったことにしてしまいたくはない。

それで、ようやく、ここまで書くことができた。
書きかけて、何度も書きかけてはやめた話を、
ようやく最後まで書くことができた。

まだ迷いながらではあるけれども、
こういうふうにして進んでいくしかない。
とりわけ、誰にとってもわかりやすい一歩が刻める
見通しのいい道が見えづらくなってしまった
この時代においては。

おしまいに、新しく自覚しているのは、
どうやらぼくが福島という場所と
まだまだつながっていたいと
強く思っているということだ。
それがいったいどういう動機で、
なにをしていくべきなのかということは、
これから考えていきたいと思う。

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これは 誰に書いているわけではない
わたし自身のメモです。


わたしが これからも ごはんを作れることに
生きていることに 感謝できるように。

多くのしあわせはいらない。
希望を小さい子たちに見せれるような生き方をしたい。


明日から続く日々が 穏やかなものでありますように。